看板への思いを少しだけ・・・


 

少年(「看板ナビ」掲載分)

http://www.kanban-navi.com/hitoiki/colummk_024.htm

 

不思議な形だなと思いながらも明朝体の持つ美しいディティールに「描いてみたい」という、強い憧れにも似た真似心が生まれました。中学校の3年生の時にはじめた「レタリング」の通信教育で、それが明朝体と呼ばれる書体であることもその時初めて知ったことです。

 

苦労して真似ながらデッサン、自作の溝引きやガラス棒を駆使し色入れ。にわか”レタリングデザイナー”を気取っていた少年がその後間も無くある所でその明朝体をフリーハンドでしかも驚くべきスピードで書いている光景に大きな衝撃を受けるのでした。

 

文字が書きたくて書きたくて弟子入りした看板屋さんの親方は根っからの映画好きでこの道に入った映画看板描きの職人。自分には到底出来そうにもない親方の魔法のような「顔描き」は呆然と眺めているのでしたが、多少なりとも”明朝体の出来るまで・・”に興味を抱いていた少年の目に、大小の明朝体が鉛筆の水平線一本を目安に筆一本で書き並べられていく様はあたかも人間写植機がそこに居るかの様に映りました。今風に言うなら人間インクジェットでしょうか?スレンダーでシャープな親方自慢の明朝体は業者の誰が見ても作者が分かる程特徴的で美しい文字。中学生の頃、初めて見たあの明朝体とは違うが表情の有る形、ディティールの美しさには全く同じ感動を覚えました。いつか自分もこんな職人になるのだとそっと思い続けていた頃です。

 

曲りなりにも看板屋を名乗り「商売」をさせてもらっている今、人間インクジェットを夢見た当時の少年はインクジェットプリンタを使い、カッティングマシンを使い溝引きもガラス棒も持たず、ましてや筆でフリーハンド写植機を演じることもない始末。

 

何がしたくて看板屋になったのだろう、何になりたかったのだろうか?でも、私は嘆いてもいないし悲しくもない。モノを創りたいという欲求はその方法が変わってもその本質に変わらないと思うから。・・・心はいつでも一緒です。文字や形でお客様の思いを自分の方法で形にしたい、よろこんで頂きたい。

 

今少年は、”みんながうれしくなる看板づくり”を一生の仕事にしようと思っているのでした。

 

 

作りたいもの(「看板ナビ」掲載分)

http://www.kanban-navi.com/hitoiki/colummk_032.htm

 

亡くなったジョージハリソンが弾いていたんだろうか、あの”マイスートロード”のアコースティックギター。耳に残るボトルネック奏法のイントロが何とも言えず好きだった。ジャリジャリと小気味良いアコースティックギターのコードストローク。深く力強い響きはズンズンと体を押してくるみたい。 何て美しい曲なんだろう。

 

発売当時私は15歳の中学生。ビートルズにもジョージにも詳しくはない、未だ幼い感性にも、甘美で柔らかな旋律は心にしみた。彼の死を惜しんで連日のようにラジオから流れてくるこの曲を何度もあらためて聞いているが、いくら繰り返し聞いても新鮮だ。

 

耳に懐かしい反面、新しくさえ感じるのはきっと私だけではないはずだ。三十年も経つというのに色褪せる事を知らない彼の音楽。たぶんそれは彼の人間性に理由があるんじゃないかなと思う。温和で誠実、愛に満ちたジョージ。音楽って、そんな”人”自身が表現される不思議な世界なのかも知れない。どんなに見てくれを綺麗に繕っても「カッコだけ」のモノには人の心を動かす力など備わるわけも無い。どんなにちっぽけなものでも、そこに”心”があるからこそ多くの人を惹きつけるのではないだろうか?自分が選んだ仕事にそんな夢のようなチャンスさえ予感できる話を重ね合わせてみたいものだと密かに思い続けている。「田舎のちっぽけな看板屋でも胸を張っていいものを作ろう。そして生き残って行こう!」私はこうしてただ書いているだけでも、ワクワクして子供みたいに言い様無くうれしい。そこには厳しい現実に背を向けることなく前を向いて歩いていけるという喜びがある。それはもしかして、自分にも何かを極められるかも知れないという大きな希望がはっきりと目の前にレリーフされているからです。

 

”こころのブランド”が今、一番大切なんだと語った人がいる。さあ、私の仕事場から生まれるサイン達はどうだろう?果たしてお客様が「ああ、頼んでよかった。」と言ってくださる看板やプランになったのか。どんな看板だって同じだ。小さなアクリルプレート・大型のロードサイン・ロゴマークやキャラクターづくりまで、自分にお客様を思う”心”があったかどうかをテストしてみる。モットーは「みんながうれしくなる看板づくり」。形になる商品も勿論だがプロセスにも自社マインドが生きているかを試さなくては”自分ブランド”のステッカーを貼る事はできない。「どこでも見かけるような看板、誰が作っても同じ様に出来る看板じゃないか?」・・・それは少し違うと思う。設備の規模でも会社の大きさでもないぞ、自分がどんな仕事のやり方をしたら合格なのかを自分に聞いてみるんだ。上手い下手の前に「思い」が有るかどうかをテストする。商品が図面の寸法通り正確に作られても、美しくプリントされて、カッティングされきちんと納期に間に合ったとしても、お客様に仕上がりを喜ばれたとしても、それが果たして”自分ブランド”なのかをもう一度、問いただして見なければいけないと思う。

 

商売は始めてから二十年と少し。たまに疲れの残る日も無いわけじゃ無いのだけれどやっと成人したての未熟者だ。まだまだこれから先があると思えば元気もわいてくるというものか。できるだけ自由にきままに、もっともっと多くの人と交わりながら自身を確かめていこう。これから自分で作り出されるはずの「色とりどりの音楽達」が、どこかしっとり輝いてくれるように心を磨いていこう。

 

私もいつかきっとジョージのような旋律やリズムを生み出すんだと、夢見ている。

 

 

筆を持て!?ってか(「看板ナビ」掲載分)

http://www.kanban-navi.com/hitoiki/colummk_035.htm

 

若いスタッフの一人が、お客様の店へプライベートで立ち寄った。久しぶりに、お気に入りのアルバムでも探しに行って見たのだろう。楽しんでいる彼を見つけて、そのお店のご主人が得意のお説教を開始した。『看板屋は筆を持て!(?)看板屋は筆で書かないとダメだ!!』とおっしゃったそうだ。「○×しなくてはいけない型」発言の大好きな御人である。

 

まあ気持ちは分からなくもないが、あまり簡単に言って欲しくなかったなあと思った。パソコンの普及により、カッティングマシンや大型インクジェットプリンタなどがどこの看板屋さんにも導入され、資材の性能進化・低価格化によって益々手描きは無く なってしまった。なるほど無機質な製作工程にも思える昨今の看板屋さんに見えるかも知れない。しかし製作工程の中で何かを書いたり塗ったりする作業は昔からほんの一部であり全部が全部、素人さんが思い込むように筆を懐に入れた?”超職人”だけではない。

 

お客様には見えない部分にそれぞれの作業分担があるわけで、その数も多いものだ。お一人で何でもやってしまう看板屋さんも多いとは思うけれど、それでも書く工事と無縁の方も多いはず。それが業界の実情なのです。大工仕事、土方仕事、板金仕事、アクリル加工、コンクリ練り、ハケ塗、文字書き。・・・総合技が看板屋さんなのだ。そこへパソコンが仲間入りしただけなのにね。昔も今もやる事には変わりない、ただお客様にはパソコンによるデジタル加工やインクジェット出力などが鼻に付くみたいだ。

 

相手にしなければ良いものを、気にしていた事を指摘され不愉快になった。それよりも、何故かパソコンと出力機頼みの「今の自分」を正当化しようと懸命になっている自分自身が余計に情けなく思う。きっとそこに捨てきれない何かが有るんだと、あらためて自覚した。

 

みんながみんな筆を持って書く仕事をしていたわけではないのだが、素人さんには「看板屋=文字を書く」に限定されるようだ。利益を生むという生産活動の中にありただ文字を書くという”楽しい”(実に楽しい)行為だけに固執してしまえば少なくとも私の会社の実情にはそぐわない結果を生むことになる。それは損益の計算が無用な。・・・趣味の世界・・・となってしまうのだ。

 

適当に時代にも乗っかっていかないと間違いなく食いっぱぐれるだろう。私の会社が”手書きじゃないと”なんて言ってたら仕事は皆無だ。 (書、自体を芸術として確立されていらっしゃる看板屋さんはまったく話が別です。)

 

入社以来二年間、出力を専門に頑張って来た若い彼に、思いつきで「筆を持て!」なんて言わないで欲しかった。それは私に投げかけられた言葉だとも思った。言われたスタッフは「書く」ってこと自体の作業を見たことが無い、流し台脇の筆桶につっ込まれている汚れモノとしかとらえていないかも知れない。

 

見直す時期に来ているとは思うが、今看板屋さんに「筆を持て!」とは私には言えない。もし言うならば”看板屋さん「筆を持っているところも見たいなあ!」”だろうか。文字を書く場面をほとんど見たことの無い若いスタッフは筆を持つ意味をどう考えるだろう?お説教ご主人の「筆を持て!」発言をどう受け止めたのだろうか、聞いてみたい。

 

文字書きが一般的ではなくなって久しい。フリーハンドで書くことなどは数年間全くしていない。つい何日か前、珍しくその手書きが要求される配管、機械類の直接書き作業の発注があった。その瞬間から果たして書けるのかどうか?筆は大丈夫か?種ペンは固まっていないか?立ちっぱなしで腰がもつだろうか?次々に不安ばかりが頭の中をぐるぐると回って止まらない。

 

文字書きは私一人、断るわけにもいかないお客様だったから覚悟の決まるのは早かった。前日には随分と使っていない筆を一本づつ机に並べ、準備をしていた。ほったらかしで手入れが悪くなった筆たちに謝りながら、穂先を整えたり軸を挿げ替えたり気が付くとつい遅くまで夢中になっていた。段々と、気が重かった現場の手書き作業不思議と楽しみになってきたのだ。

 

昨日、その現場全部を二日間かけてすべて仕上げた。お客様から一箇所づつチェックして頂き「はい、いいですね。ありがとうございました。」といわれた瞬間、安堵と共に実に久しぶりの達成感を味わった。”楽しかった”出張文字書きを新めて営業品目に入れなくちゃと真剣に思った。

 

あのご主人の「筆を持て!」はもしや思し召しだったのか?(でも、未だうなずけない)言われて悔しいけれど、「筆は持ち続けたい」と思った。

 

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